序章:
『私は、これ以上もう太りたくない!!』 その叫びは突然やって来た。
2004年4月、歯の矯正をしていて流動食しか食べられなかった家内が、無事矯正が終わり普通食に戻ろうとした時だった。やっとの思いで粗食になれた家内は私の作った特厚トンカツを拒否したのだった。ご褒美と思って一生懸命揚げたのに・・・
もともと料理好き、食べるの好きだった私たち2人が結婚して10年。その歳月は私たちのからだに劇的な変化をもたらしていた。。。でぶ、でぶ、でぇ~ぶぅ~。
1991年、ニューカレドニアへ来て、筋肉質のしまったからだを黄金色に輝かせ、ジェットスキーのインストラクターをしていた私。身長170cm、体重68キロ。それから10年。私の体重は
80キロを超えていた これから私がここに残すのは、私がいかにしてでぶになり、いかにしてその地獄から抜け出すかの戦いの記録である。記録になるはずである。記録になるといいな・・・。
でぶろぐ その1
1991年12月、私はそれまで勤めていた海洋研究所を退職してニューカレドニアへ移り住んで来た。私はもともと体育会系でそれまでの船員(肉体労働)生活と長い休暇を利用してたしなんできた各種スポーツもあって、
海でじっとしていると沈むぐらい筋肉質でしまったからだをしていた。
ニューカレドニアで最初についた仕事はジェットスキーのインストラクター。船員時代にほんと色んな遊び&スポーツに手を出していたので、ジェットスキーもお手の物、沖縄で1回乗った事があった(おひおひ)。インストラクターではない、インチキラクターである。とはいえ、毎日乗っていればもともと好きな類いの遊びなので、あっという間にお客様にはばれない程度のインチキラクターに変貌したのではあるが・・・。

毎朝、観光客の市内観光バスを追いかけて名所名所でビラを配り、お客様をホテルにお迎えに上がり、ジェットを海におろし、お客様に教え、一緒に乗り、おべっかを使い、重たいジェットを海からあげて、お客様をお送りして、ゲレンデに戻ってジェットを洗い、夕方にはホテルのデスクで翌日の予約を受け付ける。
とんでもない肉体労働である。当初のすみかはランタナホテル106号室。キッチンなど付いていない。冷蔵庫もロビーに共用の物が一台あるだけ。仕事が終わると酒飲んで寝る、ねる。あれ、もの喰ってない!? そんな生活を続けて私のからだはさらに引き締まり、褐色に輝いていた。
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