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プロフィール

AQUAの旦那

AQUAの旦那
(高橋雅彦)
南太平洋はニューカレドニアのお土産やのおやじっす。

1961年生まれ。40過ぎてマラソン、50でトライアスロン、51で和太鼓始めました。自宅当番の日には晩飯を作ったりもします。何でニューカレドニアに住んでいるのかは「旦那の経歴」でも読んでみてください。

もらうと嬉しいもの:芋焼酎

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でぶろぐ その12(03年夏)

 2001年12月、AQUAはスタートした。なんにせよ、まるっきり新規の店なので頑張らないとどうにもならない。長い昼休み、早い店じまい、土日は休みが当たり前のニューカレドニアで、年中無休、昼休み無し、夜8時までと言う形で頑張ってみる事にした。もちろん従業員はいない。

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 夜8時に家に帰ってそれから夕食の支度をして、食べて飲んで寝る。仕事は店番。そりゃふとるでしょ!!

 日に日に少しずつ体重は増えていった。でも、増えてくるとそれなりに食べる量を減らしたり、軽い運動なんかもしていた。そんなかんだで75キロを目処にそれ以上は増やさずにすんでいた。ところが思いもかけない所に悪魔は潜んでいた。

 私は結構なヘビースモーカーだった。ここには書けないぐらい若い時から(おひ!!)24年ぐらいずっと煙草を吸っていた。

 でもね、ほんとはね、やめたかったんです、ぼく。朝起きると胃が痛くて歯磨きすると吐きそうになるし、かみさんにはいっつも「タバコ臭い!!」って文句言われるし、ニューカレドニアの煙草は馬鹿みたいに高くて、日本円にして月3万円ぐらい煙りに消えちゃうし・・・。それでもぼくは意志が弱いのでやめられなかったの。

 そんなダメ人間の私だがある日、日本から送られて来たビデオを見ていて思いついた。そうだ、この方法がうまく行けば何の苦労もしなくても煙草がやめられる!! 着々と準備を進め03年の8月に日本に帰った時に計画は実行された。そしてわたしは見事何の努力も苦労もしないで煙草をやめる事に成功した。




 その方法とは催眠術をかけてもらう事だった
(まじで一発で煙草を吸わなくなりました。興味のある方はこちらへ)


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 そして、それまでどんなに増えても75キロを超える事はなかった私の体重はいっきに80キロオーバーまで加速したのだった。恐るべし、禁煙効果!!

 ここからいよいよ私の減量作戦がスタートするのである。あ、ちなみに一年以上経ちましたが去年の8月から煙草は一本も吸ってないですよ、ほんと。
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でぶろぐ その11(00年以降)

 結婚してからしばらくは普通にダイビングボートを操船したり、修理したりしながら過ぎていった。

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まあ、色々なお客様を乗せる事もある。

 しかし、この頃から船の不具合が目立つようになって来た。もともとちゃんとした船と言うのは20年ぐらいは使えるのだが、この船には製造上の欠陥があって、修理をしながら使うぐらいなら新しくしちゃった方が良いような状態だった。で、私はコンピューターに向かって新しい船の図面作成に取りかかった。実はいつのまにやらコンピューターでお絵描きするのが得意になっていた。

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 一生懸命細かい所まで設計したが、この船は日の目を見る事はなかった。なぜならダイビングサービスを閉鎖する事になってしまったからだ。あれ、また仕事が無くなる? 仕事をしないと人間食べられない!!。食べられないのはつらいので、長く続けたダイビングの仕事から離れて新しい仕事をする事にした。

 さて、何をしよう? 家内と2人で出来る事はなんだろう? 日本に帰ると言う選択肢もないじゃないけど、日本で貧乏するぐらいならニューカレドニアで貧乏している方がはるかにいいよね。それじゃあTシャツとお土産の店なんかどう? おれ、コンピューター使えばTシャツデザインできるし。そうね、私お土産屋やブティックでずっと働いて来たし。そんじゃあ、ベ・デ・シトロンに新しいショッピングセンターが出来たからあそこを借りてやるべえよ。

 ということで、Tシャツとお土産の店を立ち上げる事になった。名前はAQUAに決まった。ちょうどプレーステーションの「アクアノートの休日」をやっていた時期だった(爆)。

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 そして、とうとう長年の肉体労働から離れ、ほとんどからだを動かさない仕事に就く事になった。それってやばくない?

でぶろぐ その10(95年以降)

 当時の私の仕事はダイビングボートの船頭である。だが船頭と呼ばれる事は少なく船長とかキャプテンとか呼ばれる。普通ダイビングボートの船長さんと言うと日本でも海外でも漁師さんの兼任や元漁師さんが多いようで、年季の入った渋めのおじさんが多いようだった。で、当時、私は年齢より若く見られたようで、なんだかお客様から「こんな若い船長で大丈夫だろうか・・・」と言った気配が漂っているのに気がついた。

 で、少しでも貫禄を出そうとヒゲをはやしてみた。

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少しは貫禄が出て来ただろうか?

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何かヒゲとは違う所で貫禄が出て来ているような・・・

つまり、結婚して食生活が改善された証拠である。

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でも劇的な変化が訪れるのはもう少し先の話しだった。

でぶろぐ その9(95年頃)

 本当に電撃結婚だった。とっても簡単に済ます事が出来た。まさに紙切れ一枚出すだけで結婚とは出来るものだと実感した。が、やはりそれだけでは

済ませてもらえなかった。

 年が明けて95年3月3日、結婚式をすることになった。日本に帰って式をするとなるととんでもなく大変そうだったので、親戚一同、友人知人全部ニューカレドニアへ呼び寄せて式をすることにした。家内は敬虔なカソリック教徒で日本から神父様2人も招待して、私たちのアパートのある地区を管轄する教会が式場となった。高橋家&○×家結婚式ニューカレドニア・ツアーが知り合いの旅行会社で特別に組まれた。

そりゃぁもう、大変な騒ぎである

<ーーこの話しをすると切りがないので顛末を聞きたい方は直接聞きにいらしてくださいませ。ーー>

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 この場所がどこだか分かる人はかな~り古いニューカレドニアファンと認定しよう。そう、ここはパークロイヤルになる前のヌバタホテルのバンガローガーデン。この閑静で美しい庭で披露宴を行った。今この場所はどうなっているのか? パークホテルのプールの底である。ああ、もったいない・・・。

 この後、友人たちとイルデパンへも行った。新婚旅行もこれで済んだ。

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と思ったのはわたしだけだった。後日ちゃんとハワイまで行った。ニュージ-ランド経由ラロトンガ経由ハワイ。遠かった・・・...( = =)

でぶろぐ その8(94年頃)

 わたしは新しく始めた船頭稼業にもだいぶ慣れ、同居中の彼女はダイビングショップを辞めて免税店で働くようになり、愛犬エンゾはダイビングボートに乗ったり、ショップでマスコットしたり、はたまた免税店で客引きなどをして過ごしていた。

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 彼女は休みの日にはわたしのボートに乗って遊びでダイビングをする事はあっても、インストラクターとして働くつもりはなく、免税店員として仕事を続けるつもりだった。

 だったのだが、問題が発生した。最近でこそ大分融通が利くようになったものの、当時は滞在ビザの取得が非常に大変だった。もちろん彼女は就労ビザを取得していたのだが、その条件は最初に勤めていたダイビングショップに限られるもので、免税店員として書き換える事は出来なかった。いろいろと持てる限りのコネクションを使ってみたが、書き換える事は出来なかった。

 ビザが書き換えられないと彼女はニューカレドニアに住み続ける事は出来ない。いったん日本に帰国して新たに免税店の店員としてビザを申告したとしても、そう簡単にビザが取得できる時代でもなかったし、もしうまくいってもビザが取得できるのは半年ぐらい先の事になってしまう。

困った

わたし一人ではエンゾの世話も十分に出来ない。

ほんとうに、困った

わたし一人では毎日おいしい晩ごはんを作れない。


そう、すでにわたしは彼女の作った食事がなければ生きていけない男になっていたのだった。食事と言う餌にエンゾもろともしっかりと捕まっていたのだった。


こうなったら仕方がない、確実にビザが取れる方法が一つだけある。

結婚しよう

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 そして2人して急遽日本に一時帰国して入籍し、フランス大使館に奥様ビザの申請を出して彼女は家内になった。そしてわたしの食生活は保証されたのだった。

でぶろぐ その7(94年頃)

 「でぶろぐ」といいながら、なかなかデブな展開になってこなかったのだか、ここいらから様子が少し変わって来る。

 男30普通にしていれば彼女も出来る。知り合いのホームパーティで別のダイビングショップのインストラクターとしてやって来た娘と知り合って、うんにゃら、こんにゃらして、2人で別々にアパートを借りていては家賃がもったいないと言うことで一緒に住みだした。日本式に言うと八畳一間にトイレとシャワーが付いただけの狭い部屋で2人暮らしのはじまりである。

(↓イントラとして体験ダイビング引率中の彼女=AQUAの女将)

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 一緒に住んでいれば家族も増える。

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 こうして2人と一匹の楽しい生活が始まった。

 彼女は料理がうまかった。私はそれまでほとんどまともなものを食べていなかったのだが、いきなり毎日おいしいご飯が食べられるようになった。何もなかった台所に一つ、また一つと調理道具が増えていき、手狭になった台所を私が材木を買って来て広く改造し、使えなかったガスオーブンも分解修理し(後に爆発して大変な目に・・・)、環境が良くなるとその分彼女の料理にますます磨きがかかっていった。

 ニューカレドニアに来て、初めて食べる喜びを思い出した、思い出してしまった。でも仕事は相変わらずハードで、食べたからと言って太るわけではなかった。

でぶろぐ その6(93年頃)

 人間そういつまでも遊んでいられる訳ではない。そうこう言ううちにオーストラリアに発注していたダイビングボートも到着し、いよいよダイビングサービスの船頭としての仕事再開である。

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 船頭とはいえ船の操船だけをしていればいい訳ではない。ダイビングサービスの最大の重労働が「タンク運び」である。要はダイビング用のエアタンクを毎日船に積み込んで、使い終わったものを下ろして空気充填所まで持っていって空気を詰めて、また船に積み込む、これの繰り返しだ。ちなみに当時のタンクの重さは1本15キロ。一日の使用量最大30本。積んで、下ろして、約一トン。夏の時期なんか全身汗だくで熱射病と脱水症状でふらふらである。

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 したがって、まだまだからだは締まっていて太っている暇はない。

でぶろぐ その5(92年末)

 ジェットスキーの会社を辞めた時点で次の仕事の当ては見つけてあった。ダイビングショップのボートスキッパーである。まあ、もともと船が好きで船員をやっていた訳で、結局船乗りに戻るだけの話しだ。とはいえ、肝心の船をこれから建造すると言うことなので、実際に仕事が始まるまでは大分時間があった。

 つまり、ニューカレドニアでプー太郎である。毎日これと言ってする事はない。ダイビングポイントの開発だと言ってボートに乗ってあちこち遊びにいく。既存のダイビングショップのボートを見つければ「よっ!!」と意味もなく声をかけて(脅して)まわる。夜は毎晩日本食レストランで焼酎を呑む。酔った勢いでクラブメッドに乱入する。ほとんどやくざのような生活が続いていた。

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ほとんどまともなものを食べない生活、、、一番やせていた時期かもしれない。

でぶろぐ その4(92年頃)

 クエンドビーチでは乗馬用の馬も飼っている。ある日、オーナーはジェット&乗馬と言うツアーを考えだした。午前中ジェットスキ-に乗ってクエンドビーチのレストランで昼食、午後から乗馬をすると言うものだ。

 とりあえず私は今まで通りお客様を迎えにいって午前中ジェットスキーを楽しんで頂いたあと、お客様をレストランに案内して「お食事の後、乗馬のインストラクターがお迎えに上がりますのでここでお待ちください」といってお客様とはお別れする。お別れした後、レストランの裏口で余った食材を分けてもらって手づかみで食べる(野良犬かい!!)。

 午後、お客様の前に乗馬のインストラクターが現れる。「こんにちは、乗馬のインストラクターの高橋です!!」 お客様は大受けする。「おんなじ人ぢゃん(爆)」。

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 船員時代にほんと色んな遊び&スポーツに手を出していたので、乗馬もお手の物、、、んなわけない。前の日に初めて馬に乗った私がインストラクターである。インチキラクターどころの話しではない。この会社、怪しすぎる。

 ニューカレドニアにくるまで、私は人を疑うと言うことを知らなかったが(ウソ)、あまりに怪しい会社なのでそれとなく回りに聞いてみる。。。出てくる出て来る色々と危ない話しが入って来る。やれ保険に入ってないの、必要なライセンスがないの、なんの、かんの。そんなある日、いつものようにお客さんを連れてジェットを始めようとしたら、ホテルのオーナーから言われた。「宿泊客がうるさいって言うからここでジェットを走らすな!!」。このホテルからもそっぽを向かれたらしい。スタンレーから追い出されたのも似たような経緯だったのだろう。私のボスは日本に帰っている。

こんな会社やめてやる!!


 私は身も心もぼろぼろになって、異国の地で職を失った。退職金代わりに会社のモーターボートを奪って来た。が、そのボートは他人の物を勝手に使っていたものだった(泣)。

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でぶろぐ その3(92年頃)

 ある日、ジェットツアー会社のオーナーからスタンレーからは撤退する、これからはヌー島のクエンドビーチでやる事にすると宣言された。後から分かった事だが所場代の支払いの件でトラブったらしい。

 移動先のクエンドビーチはとても素晴らしい場所である。当時は今のような水上バンガローなどもなく、こじんまりした入り江に面してぽつんぽつんとバンガローが点在する、知る人ぞ知る穴場だった。当然お客様も大喜びである。

 問題はジェットの置き場である。クエンドビーチのオーナーからはバンガロー前の芝生に何でも置いていいと言われたものの、海から小石混じりのビーチをはさんだ土手の上が芝生である。ジェットは重い。トレーラーみたいなものはない。つまり、私が押すか引くかして移動するのである。

 まずジェットを引きずってもいいようにビーチの石を拾う。お客さんが入っていない時は朝から晩まで石を拾う。拾っても拾っても石は無くならない。なぜ?

 お客さんが入った時は朝のうちに芝生からジェットを下ろしておいてからお客様をお迎えにいく。楽しく遊んで頂いてからお客様をお送りしてゲレンデに帰って片付けを始める。・・・引き潮だったりする。・・・海が遠い。普段は5メートルぐらいしかないビーチが10メートル以上になっている。繰り返すがジェットは重い。必死になって押して、引いて、揺すって、押して、やっとの思いで芝生手前の土手までたどり着いた所で日が暮れたりする。

。・°°・(((p(≧□≦)q)))・°°・。

なにもかもいやになって夕暮れのビーチに一人ぽつんとたたずんでいたりする。

肉体的にも精神的にも何もかんもぼろぼろである。

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でぶろぐ その2(92年頃)

 最初にジェットスキーのベースにしていたのはセントマリー湾に面したスタンレーホテル。そこにジェットスキーを置いておき、お客様と目の前の無人島、セントマリー島に渡ってジェットを乗り回していた。まあ、他に滅多に人も来ないし、遮るものもない広い海域でお客様には思う存分ジェットを楽しんでもらえる場所だった。

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 しかし、やってる私は大変である。スタンレーホテルまではヌメアから車で30分はかかる。人数が少ない時には自分の車でピックアップしてスタンレーまで行き、そこからお客様もジェットに乗せて島まで渡ればいいのでそれほど手間はかからない。人数が多くなるとまず移動の車を手配しなければならない。手配をするにはバス会社に電話しなければならない。電話をするにはフランス語を話さなければならない。まだフランス語は話せない

 無事ホテルに付いても島に渡るのも大変である。当時持っていたジェットは2人乗りが2台、一人乗りが2台。よっぽど乗り馴れたお客様でない限りいきなり一人乗りには乗れないので、2人乗り2台でお客様4人まではジェットで島に渡れる。でも、それ以上の人数になったらどうするのか? 昔流行ったなぞなぞをしようというのではない。モーターボートを使うのである。つまり私一人では出来ない。相方を呼ばなければならない。相方は遊び人である。つまりなかなかつかまらない。

・°°・(((p(≧□≦)q)))・°°・。


 肉体的疲労に加え、精神的にも私のからだは研ぎすまされていった。

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でぶろぐ その1(91年末)

序章:

『私は、これ以上もう太りたくない!!』 その叫びは突然やって来た。

2004年4月、歯の矯正をしていて流動食しか食べられなかった家内が、無事矯正が終わり普通食に戻ろうとした時だった。やっとの思いで粗食になれた家内は私の作った特厚トンカツを拒否したのだった。ご褒美と思って一生懸命揚げたのに・・・
 もともと料理好き、食べるの好きだった私たち2人が結婚して10年。その歳月は私たちのからだに劇的な変化をもたらしていた。。。でぶ、でぶ、でぇ~ぶぅ~。
1991年、ニューカレドニアへ来て、筋肉質のしまったからだを黄金色に輝かせ、ジェットスキーのインストラクターをしていた私。身長170cm、体重68キロ。それから10年。私の体重は

80キロを超えていた


 これから私がここに残すのは、私がいかにしてでぶになり、いかにしてその地獄から抜け出すかの戦いの記録である。記録になるはずである。記録になるといいな・・・。




でぶろぐ その1

 1991年12月、私はそれまで勤めていた海洋研究所を退職してニューカレドニアへ移り住んで来た。私はもともと体育会系でそれまでの船員(肉体労働)生活と長い休暇を利用してたしなんできた各種スポーツもあって、海でじっとしていると沈むぐらい筋肉質でしまったからだをしていた。

 ニューカレドニアで最初についた仕事はジェットスキーのインストラクター。船員時代にほんと色んな遊び&スポーツに手を出していたので、ジェットスキーもお手の物、沖縄で1回乗った事があった(おひおひ)。インストラクターではない、インチキラクターである。とはいえ、毎日乗っていればもともと好きな類いの遊びなので、あっという間にお客様にはばれない程度のインチキラクターに変貌したのではあるが・・・。

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 毎朝、観光客の市内観光バスを追いかけて名所名所でビラを配り、お客様をホテルにお迎えに上がり、ジェットを海におろし、お客様に教え、一緒に乗り、おべっかを使い、重たいジェットを海からあげて、お客様をお送りして、ゲレンデに戻ってジェットを洗い、夕方にはホテルのデスクで翌日の予約を受け付ける。

 とんでもない肉体労働である。当初のすみかはランタナホテル106号室。キッチンなど付いていない。冷蔵庫もロビーに共用の物が一台あるだけ。仕事が終わると酒飲んで寝る、ねる。あれ、もの喰ってない!? そんな生活を続けて私のからだはさらに引き締まり、褐色に輝いていた。

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