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プロフィール

AQUAの旦那

AQUAの旦那
(高橋雅彦)
南太平洋はニューカレドニアのお土産やのおやじっす。

1961年生まれ。40過ぎてマラソン、50でトライアスロン、51で和太鼓始めました。自宅当番の日には晩飯を作ったりもします。何でニューカレドニアに住んでいるのかは「旦那の経歴」でも読んでみてください。

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計るだけダイエット一周年

 え~、このブログを最初から読んでいる人はよくご存知だと思いますが、NHK推奨「計るだけダイエット」を初めて一年が過ぎました。一年間まじで毎晩体重計測を続けました。振り返ってみると一年間の私の人生がグラフに集積しているかのようです。「あ~、あんときゃああなってこうなって、おかあちゃん、早く帰ってこいよぉ~」とか、「あんときゃ、大食いして下痢して体重乱高下したっけなぁ~」とか、「雨ばっかり続いたんだよなぁ~」とか、いろんな事が思い出されます。

 まあそれは置いといて、やはり年明けから3月にかけてのデブデブが悔やまれますねぇ。あんときもうちょっと頑張っていれば今頃は60キロ台に突入していたはずなんですがねぇ。まあ、そうはうまくいかないのが世の常ですね。それではグラフを公開致しましょう。

 なお、今回は毎日のデータを全部そのまま使うとぐじゃぐじゃになってしまうので、10日間の移動平均をかけてあります。移動平均が分からない人は昔の数学の教科書でも探して調べてください。

それではグラフをドン!!

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まだまだがんばんぞぉ~!!
はらへった。。。

でぶぢゃないもん♪

 やっと扁桃腺→おたふく風邪の病み上がり状態から脱却しつつあります。朝起きても喉の痛みもなく、節々のだるさもなくなってきました。ということで、火曜日の朝、約1ヶ月ぶりにランニング再開しました。ずいぶん間が空いてしまったので、ゆっくりペースで7キロちょっとのジョギングから始めました。そして今朝も早起きして、ストレッチして、5分のウォームアップの後、たったったぁ~と走り出したのですが、、、3分ほどで回れ右してお家に帰りました。

だって、お膝がちょっとだけ痛かったんだもん。

 ここで無理すると大変な事になるのはいやってほど学習しています。ゆっくり様子をみがならランニング復帰&7キロ40分を目指すのだぁ~~。とりあえず、グルコサミン、コンドロイチン、コラーゲンのサプリをちゃんと飲むところから始めます。さてさて、明日は走れるかな?

 ところで、扁桃腺→おたふく風邪効果が思わぬところにも現れていました。なんと、夕べの体重計測結果

71.0キログラム!!

 きてます、約一年間で9キロちょっと減量できました。このままのペースで行けば夢の60キロ台も夢じゃなくなってきました。もしかしたら標準体重の63.5キロまで行っちゃうかもしれません(とおい、とおい。。。) 

 パソコンモニターの前の(‐_‐)σアナタ、うっかりしているとAQUAのデブ旦那より体重が重いなんて事態が発生する日も近い鴨???

3月もだめだった orz

 え~っと、このブログの趣旨ですが、、、
『いやいや、もともとこのBlogって、ダイエット記録じゃありませんでしたっけ? byはなさん』と言うことで、細々ながらもダイエット記録も継続していきます。

 というか、先日見つけてしまったのですが、MSNの検索サービスにMSNサーチベータ版って言うのがあって、そこで『ニューカレドニア』と検索かけると、第一位『ニューカレドニア観光局』、第二位『ニューカレドニアでぶろぐ』、第3位『ニューカレドニアAQUA』なんですよ(おひ!!)。<<MSNサーチベータ版>> いつの間にか本家追い越しちゃって、おまけに紹介文が『80キロからの生還。失われたからだを求めて・・・ ニューカレドニアでぶろぐ 80キロからの生還』ですもの。ダイエットネタも書かないとサイト紹介に偽り有りになっちゃいますものね。

 長々と前置きがありましたが、、、、結果として、、、、またまたでぶでぶしてしまいました。(/ω\) ハジカシー

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 もう、78キロに手が届きそうですよ!!。ほんっっっとにやばいです。サイトタイトル80キロへの復活になっちゃいますよ。

 で、よ~く考えてみました。順調に進んでいた減量がどこで崩れたのか。そう、1月から体重増加は始まったんです。いや、ほんとですって。←の『でぶろぐ』ってカテゴリー開いて確認してくださいよ(いらん世話)。

1月、おかあちゃんが日本に帰っていた
→おかあちゃんがニューカレドニアに帰って来た
→→おかあちゃんが普通に晩ご飯作って食べるようになって来た
→→→おとうちゃんも普通に晩ご飯食べるようになって来た
→→→→いつの間にやら夕食抜きがなし崩しに成立しなくなって来た
→→→→→1日3食、でぶでぶで ぶぅ~

 ということで、原因は解明されました。おかあちゃんが晩ご飯を食べる以上、私には横で我慢することは出来ません。と言うことでダイエット計画変更!!
名付けて旦那の昼飯封印作戦 これ、けっこう効果出て来てます。3月末には77キロぐらいあったのに、夕べの計測では74.6キロまで落ちました。
もちろん雨の中走るバカ(←でぶろぐ掲示板参照)作戦も遂行中です。

 ということで、もう『旦那の昼飯』は更新されることはないでしょう。皆様長らくの間ご愛読頂きまして誠に有り難うございました。ぺこ <(_ _)>

でぶろぐ その27

 メインコンテンツだったはずの”でぶろぐ”が、いつの間にか月1ゴローと化していますが、2月の締めでございます。

 ちゅうか、その前に、足は痛いし、微熱はあるし、肩は凝ってるし、だるいです。さっき裏行ってノニジュースぐびぐび飲んできました(100mlぐらい)。慣れると本当からだに良さそうな愛おしげな味ですよ、ノニジュース。誰ですか?甘いドブの匂いだとか(タモリ)、生乾きの雑巾だとか(昔お世話になった女優さん)、営業妨害も程々にしてくださいよ、ほんとにもう。

 で、2月の体重変動なんですが、本当に乱高下していたんですが、単月でグラフ化してもあんまり意味が見えてこないので、昨年6月からの連続グラフをどん!!

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 昨年中は上がったり下がったりしながらも確実に体重は減っていたのに、今年に入って明らかに平均体重が増えているのが丸見えになってしまいました(泣)。でも、唯一の救いは体重は増えたけれど体脂肪率は増えていないことです。タニタの体組成計でも筋肉量が1段階上がってます。つまり、脂肪が筋肉に置き換わってきていると言うことです、、、でも体脂肪はいまだ軽肥満の域を抜けておりません。

 ところで今夜は仲良くしていたSPTヒロ君とココちゃん(エンゾの彼女)が日本へ帰ってしまうので最後のお食事会です。また麻雀できるメンツが一人足りなくなってしまう。でも、最近夜更かしつらいからちょうどいいかも・・・。

おかあちゃん、今夜の御飯はなぁ~あぁ~にぃ?腹減った。。。

でぶろぐ その26

あ~あ、とうとうこの時が来てしまいましたね。
まあね、雨もいっぱい降ったしね、おかあちゃんがいないのが痛いよね。

夜帰ってエンゾに御飯あげて、なんかおつまみを・・・
と、おかあちゃんが日本に帰ったその晩に
天ぷら鍋に油を入れたのが間違いでしたね。
冷凍フィッシュスティック、冷凍ナゲット、冷凍カバブ、冷凍ポテト、、、
もうね、おかあちゃんが帰ってくるまでに冷凍庫を片付けようモードはいっちゃいました。天ぷら鍋毎晩出動&冷凍エスカルゴまでつまんじゃいましたもんね。

ということで、昨年5月から順調に減ってきていた体重がふえちゃいました。
グラフをどん!!

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あ~あ、おかあちゃん早く帰ってきてねぇ~~でぶでぶ。

でぶろぐ その25

 雨が続いた。朝の運動がまともに出来ない。朝ちゃんと運動していると『体重減ってろよぉ~』オーラが一日中からだに残っているのだが、運動できない日は『体重増えてもしょうがないか・・・』オーラにからだが包まれてしまって、ついついいつもより多めに食べてしまう。で、当然体重増えた( ̄□ ̄;)!!。まあ、明日からは朝晴れ間も出てきそうなので、仕切り直してがんばんベーYO。

 と言う訳で、今日の昼ご飯を最後にまたダイエットモードに入ることにします。する予定です。もう雨降るなYO!!

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 今日の昼ご飯はおかあちゃんがポートプレザンスのスーパーカジノで買ってきたクスクスでした。なぜニューカレドニアにクスクスが普通にあるのか? クスクスは北アフリカ、モロッコ辺りの料理。モロッコと言えば首都はカサブランカ。カサブランカと言えばジュリーが歌ってた「カサブランカ・ダンディ」の元ネタの、ハンフリーボガード主演の映画「カサブランカ」。映画カサブランカと言えば警官はフランス人。そうフランス領だったんですね。え”、こんなに引っ張らなくても知ってた? それ以前にカサブランカって映画知らない?


 でぶろぐは中高年を対象にお送りしております。がらがらがっしゃ~ん。

でぶろぐ その24

 今朝、年末から続いていた雨がやんだ。新年最初の運動はウワントロ上りではなく、久しぶりにベ・デ・シトロン方面ランニングにしてみた。ウワントロで鍛えた足は確実に強靭になっていた。速い!! 7kmを42分で走りきった。10kmに換算すると1時間である。計算上はハーフマラソン2時間ペースまでやってきたことになる。計算上だけの話しだが・・・2時間も走り続けられまひぇん、きっと

 さて、12月の計測結果を発表しましょう。

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 上がったり下がったりのグラフではあるが最後の難関は雨による運動不足。結果74キロ台で年越しできず75.5kgで終了。

 続いて2004年後半の記録の発表です。

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 半年間、毎日体重計に乗って記録を取ることが出来ました。継続は力なり、計るだけダイエット!!(走ってますけど(・・。)ゞ テヘ)

今年もがんばんべぇ~YO

でぶろぐ その23

 クリスマスも終わり今年もいよいよ押し迫ってきたが、ちゃんと朝のウワントロ駆け上りは続いている。昨日あたりから脚力が少し強くなったようで走るスピードも若干速くなってきた。なんと今日は自転車で上っている人(女性)を駆け足で追い抜く所までスピードアップした。頂上についても景色を眺める余裕も出てきた。

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 当然体重も順調とは言えないが減ってきている。宅配ピザにも負けず、ポークチョップにも負けず、お食事会には負けたが、エビドリアにも負けず、トルネードステーキにも負けなかった。今年の初め体重80キロ以上あったものが、今朝の運動後の計測では73.5キロまで下がっていた。まあ、全身脱水機にかけた後のようなもっとも軽い状態での計測ではあるが、マイナス7キログラムである。いやはや、重かったんだなぁと実感する。

 ダイバーに例えるなら7kgのウエイトをしたまま生活しているようなものである。
 獣医さんに例えるなら7kgの患畜を一日中抱えているようなものである。
 母親に例えるなら7kgの子供を一日中だっこしているようなものである。
 北国の男に例えるなら7kgの伝統芸能装束を一日中着ているようなものである。
 一般的に例えるなら(?)5kgの米袋を腹に縛ってさらに両肩に米1kgづつ担いでいるようなものである。
 そんな生活からやっと脱却しつつあるのだった。

 さて、私の減量計画の最終的な目標は一体どこにあるのか? ちまたに標準体重を計算するこんな式が出回っている。身長(m)×身長(m)×22=標準体重。

1.7m×1.7m×22=63.5kg


 道は遠い・・・

でぶろぐ その22

 今月に入ってから始めた「ウワントロの丘、上りだけ駆け足作戦」は非常にいい感じで進んでいた。全体で50分の運動の間で足に強い負荷のかかる走る時間は10分少々。短い時間ではあるが頂上手前では毎日「ハアハア、く、苦しい~、もう止まっちゃおうかなぁ、いやいやあと少し、ハアハア」と葛藤が続く限界に近い運動量である。

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 苦しくなると色んな事を考える。
 夕べ結局宅配ピザ喰っちゃったしなぁ~あの分燃やしちゃわないと、ハアハア
 かみさん分厚いポークチョップ買って待ってんの反則だよなぁ、ハアハア
 だいたい夕飯無しのはずだったのにおかしいなぁ、ハアハア
 用意してあると喰っちゃうよなぁ、ゼイハア
 おがあじゃん、ちゃんと食事制限しようYO!!

 てな事を考えながらも毎日苦しい思いをして来たかいがあって、体重は強固だった75kgの壁を突き破って74kg台に入りだした。このままいければすすっと73kg台までいけるか・・・と思ったがそうは簡単にはいかない。今朝、目覚ましが鳴って起きてみると左かかとに痛みがあった。目覚ましを手に取ってアラーム時刻を1時間遅らす。今日は運動はお休み、その分寝る。zzz

でぶろぐ その21

 11月19日から始めたこのブログだが、一ヶ月もたたないうちに最大の危機を迎えてしまった。そう、賢明な読者なら察しがついていたと思われるが、過去からのログが現在に追いついてしまったのである。月一ぐらいならなんとか話題もある(作れる?)が、毎日となるとダイエットネタだけではかなり苦しい。

 さて、どうするか?

 実はすでにこうなる事は分かりきっていたので対策は考えてあるはずだった。

うわぁ~ん、なんにも考えてないよぅ~




 あっ、さてぇ~~、12月に入って左かかともやっと治ったようなのでまた歩き始めた。アンスバタ・ベ・デ・シトロン方面はついつい走ってしまいそうなので、暴走防止の意味もあってウアントロの丘へ歩いて登って下りる事にした。

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 やはり運動をすると気持ちがいい。次の日も次の日もウワントロを歩いて登った。けどやっぱり物足りない!!

<<でぶろぐ その17へ戻る>>

 ではなくて、さすがに膝、かかとと故障経験も増えて無理はしない知恵はついた。そうだ、長い距離を走るからいけないんだ、これからは短時間決戦、ウアントロの上りだけ一気に走ってあとはゆっくり歩こう(自分で書いてて、ぜんぜん懲りないやつだな~、とも思う)。

 と言うわけで今日も、自宅からウアントロの丘の登り口まで12分歩いて、そこから頂上まで約11分ランニング、折り返して早歩きで自宅まで、所要時間50分の運動を続けております。膝、かかとともなんとか持っています。体重は強固だった75キロの壁に少しづつ穴が開き始めました。

 明日の朝、何か事件が起きればでぶろぐは存続するでしょう。何も起きなかったらどうしよう・・・

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 でぶろぐ存続に向けて皆様の励ましのコメント、または掲示板へのご記帳お待ちしております <(_ _)>

でぶろぐ その20(04年11月頃)

 左かかとの故障はけっこうたちが悪かった。2週間ぐらい安静にしてもう大丈夫かな~と思って少し歩いてみるとまた痛みだす。もう一週間ぐらい安静にしてどうかな~とちょっと歩くとまた痛みだす。運動が出来ないとなるとその分食事制限に気をつけてリバウンドを警戒する日々が続く。

 ところで、家内は家内であいも変わらず情報番組のダイエット特集を漁っていた。で、今回はすぱすぱ人間学で紹介された酢漬け黒豆だそうだ。本来は高血糖値に効くそうであるが、脂肪の吸収を押さえる効果もあるらしい。なんせ、からだの為にいいらしい。

 家内はさっそくネットで黒豆と穀物酢を購入して輸入しようとしている。が、恐るべしテレビの宣伝効果!! 普段は正月ぐらいにしか売れない黒豆が、放送以来売れ続けて在庫切れ続出だそうである。でも家内の執念の方が上手だったようだ。ちゃんと丹波の黒豆はニューカレドニアまで送られて来た。

 本来私はこの手の物にはあまり興味が湧かないのだが、この時は違う。運動できないぶん藁をも掴む思い(ちょっと違うか)で食べてみることにした。だいたいこの手の物はまずいと相場が決まっている。だって黒豆を酢でふやかしたものですもん。でもからだにいいなら食べてみよう。

ま、まずぅ~くないぢゃん♪


 仕事が終わって家に帰り着いて最初に飲むビールのあてにもってこいである。缶ビール1缶飲む間に10粒ぐらいぱくぱく食べてしまう。これでからだにいいのなら毎日ぱくぱく食べちゃうもん。

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 ところがさすがの家内の執念を持ってしても追加の黒豆は見つからず、次の収穫を待たなければならないらしい。私の黒豆の配当は一日5粒に減らされてしまった。なんだか、悲しい・・・


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・11月12日 冒険の島の佐倉氏とベトナム料理を食べまくった日
・11月16日 どうしてもステーキが食べたくて350gのステーキを食べた日
・11月24日 イルデパンから友人が来てお好み焼きを作って食べた日

でぶろぐ その19(04年10月頃)

 はしる~はしる~おれ~た~ちぃ、ながれぇ~るあせぇ~もそのままにハアハア

 ということで走ってました。時間も計ってました。最初1時間だったものが55分になり50分まで短縮できました。む?まてよ、運動する時間が10分減ってるぢゃん。よし、距離を伸ばそう。

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 いつのまにか1時間以内でベ・デ・シトロンを走り抜けて、CNCヨットハーバを通り過ぎ、ポートプレザンスショッピングセンターまで走れるようになっていた。走破距離8km。もうこの辺からジョギングを超えて軽いランニングに当たるスピードだそうである。よし、ヌメアマラソンのハーフを2時間以内で走るぞ~

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 とうとうポートプレザンスも走り抜けてオフェリナ湾まで届くようになった。走破距離9km。あと一歩、その先のロータリーまで行ければ10km/1時間。ハーフマラソン2時間ペース達成である。

がんばる!!

 がんばるとどうなるか・・・忘れていた。そう、からだはついて来ない。



いてててて  いてぇ~


 今度は左かかとである。どうも私は懲りない馬鹿のようだ。左かかと故障のため全ての運動は中止となった。

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グラフは克明に記録している、そうあれは10月17日の事だった・・・

でぶろぐ その18(04年8月~)

 膝の故障は全治1週間だった。とりあえず普通に歩けるようになったので朝のウォーキング再開である。しかし山登りはやめた。ひたすら平坦なアンスバタからベ・デ・シトロンへの遊歩道を歩いた。

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 ところで、ニューカレドニアへ来た事がある方ならば分かると思うのだが、フランス人と言うのはスポーツ大好きな国民である。文字通り老若男女、みんなベーシックな運動が大好きである。つまり、朝海岸通を歩いていると他にもいっぱい歩いている人がいる。ベビーカーを押しながら歩いている人もいる。手をつないで仲良く歩いている老夫婦がいる。怖そうなお父さんににらまれながら歩いている姉弟がいる。

 毎朝会うので何となく挨拶を交わすようになっていった。でも、ある時期から常連さんの顔ぶれが変わって来た。走っている人が増えて来たのである。時は8月半ば、そうニューカレドニア国際マラソンが間近に迫って来たのである。

 マラソン観戦の顛末は本家の最新情報をご覧いただくとして、何事にも影響を受けやすい元体育会系としてはぼくもはしるぅ!と展開するのは自然の摂理である。もちろん膝の様子を見ながらゆっくり走り始めた。ネットで正しいフォームとか故障対策なんかも調べて、少しでも膝が痛むようなら運動を休む知恵も身につけた。

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 そして、一時間でベ・デ・シトロンの端まで行って折り返して来られるようになった。その距離約7km。はしれるぢゃん、おれ

 ダイエットは別として走るのが楽しくなって来た。この分なら来年はヌメアマラソン狙えるかも・・・などど、とぼけた妄想を抱くようになっていった。

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でぶろぐ その17(04年7月頃)

 計るだけダイエット恐るべし!! だいたいにおいて負けず嫌いの私としては食事制限もして、運動もして、ぜったい体重が減ってるはずなのに減ってなかったりすると翌日はつい意地になってしまう。まあ、食事はあまり極端な事をするとからだに良くなさげなので程度というものがあるが、運動に程度はない!! 歩く、あるく、アルク

 家から出てアンスバタ、ルサーフホテルコースとか、逆にメリディアン方向へ行ってホビーキャットクラブ、ライオンズクラブの遊歩道へと周遊するコースとか、1時間で歩ける範囲を歩き回った。歩くスピードもどんどん速くなっていった。そして、私の欲求はより運動量の大きいものを求めていった。

 家の近くにはウアントロの丘と呼ばれる標高128mの小山がある。第2次大戦の時の大砲が有名で、今でも軍の通信施設がある観光名所の一つである。

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 以前は観光客がウアントロの丘に歩いて登ったと聞くと呆れていたものだが、何の事はない20分もあれば上りきってしまった。家から上って降りて50分。

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物足りない!!


 私はより高い所を探していた。探せばあるものである。モンコギ(コギ山)標高500m。こちらは山の上のレストランのチーズフォンデュが有名な隠れた名所である。ある休みの日、私は車でモンコギの登り口まで行って、そこに車を置いて歩いて上った。いや登ったと言う漢字が正しいであろう。早歩きで1時間少々で登りきった。思っていたより簡単だった。さあ帰ろう。あれ、なんか右膝が痛いぞ!?

 登ってしまったものは下りなければならない。だんだんと下界に近づくにつれて私の右膝の痛みは増した。なんとかふもとまでたどり着いた私はアクセルを踏む足の痛みに耐えながら自宅へと帰った。どうやら私の膝はダメのようである。翌日病院へ行く時には家内が骨折した時に買った杖をついていった。。。痛い、いたすぎる。

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 グラフは克明に記録している、そうあれは7月20日の事だった・・・

増え過ぎでしょ、体重

 だってする事ないから食べちゃったんだもん♪

でぶろぐ その16(04年6月頃)

 お客様にまで指摘されてはもう頑張るしかない。でも徒歩通勤には色々と障害がある。で、ふと考えた。何も通勤しなくたっていいぢゃん!! 朝、1時間早く起きて店を開ける前にウォーキングをすればいい話しだった。その事に気づいて以来、朝のウォーキングが日課となった(さっさと気づけYO!!)。

 家内は家内で自分なりにダイエットの方策を模索していた。彼女の研究対象は「あるある大辞典」とか「ためしてがってん」などの情報番組のホームページ。そして日本からある品物がニューカレドニアへ運ばれて来た。

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 タニタの体組成計である。なんでも「ためしてがってん」でやっていた「計るだけダイエット」に挑戦するそうである。<<詳しくはこちら>> なるほどこれは良さげである。ぼくもやる!!

 本来は朝夕計るようだが、私はパソコンで自分勝手な用紙を作り夜の記録だけを取ってみた。確かに簡単で効果があるようだ。体重を記録すると朝のウォーキングにも力が入る。6月初め80キロあった体重は一ヶ月で2キロ減となった。

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 これはいい感じである。ウォーキングに力が入る。

 が、力が入りすぎてえらいことになってしまった。

でぶろぐ その15(04年5月頃)

 禁止と言われても徒歩通勤には未練が残る。お届けがある時にちゃんと車があればいい訳で、車を店の駐車場に置いて徒歩通勤を続行してみたりもした。が、結構頻繁にお届けは入るは、雨は降るはでなかなかうまく行かない。徒歩通勤計画は尻つぼみに消滅していった。

 そうこう言う間にゴールデンウィークを迎えて私たちの忙しさはピークを迎えた。ダイエットどころではない、日々これ忙しさとの戦いだった。そして、嵐のような金色週間も終わりホット一息ついたとき、とあるサイトのニューカレドニア旅行記にこんな記載を見つけた。




買い物を終えたので、ご挨拶がてらAQUAへ。こちらの旦那さん・女将さんにはいつもお世話になっている。特に今回は、レンタルボートで無人島巡りをしたいという夫の希望につきあって、旦那さんが海域案内として同乗してくれることになっているのだ。約1年ぶりの再会で嬉しい!あれ?旦那さん、少し体重増やしました?…と思ったが、言わなかった。

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ダイエットしますYO!!

でぶろぐ その14(04年4月頃)

 当の本人はぜんぜん覚えていないそうだが私は家内の叫びにはっとした。そうだ、私もこれ以上ふとるのはイヤだ!!。そこでまず始めに手を付けたのが当たり前に食事制限だった。夕食をおかゆとか軽いものにすると言う家内に対し、私は夕食を抜く事にした。

 いきなり夕食抜きだなんてそんな無謀な・・・と思われる方も多いだろう。しかし私には夕食よりも強力なカロリー源が残っていた。おさけ&おつまみである。夜8時、店を閉めて家に帰る。で、まずはビールをプシュ!!っとする。プリングルスをポン!!と開ける。日本から送られて来たビデオを見ながら水割りを飲む。。。だいたい11時前には寝る。なぜならそれ以上起きていると深酒してしまうから(殴)。

 こんな生活なので夕食を抜いてもほとんど苦ではなかった。が、体重もほとんど減らなかった。これではいかん。夕食抜いても役に立たん。でも、おちゃけはやめられない。酒も煙草も女もやめたら男で無くなってしまう。残った最後の砦の酒はやめられない。ではどうするか? そりゃ運動でしょう。

 ということで、最近良く聞く有酸素運動をする事にした。あるけばいいんだろ、あるけば!!と言うわけで自宅から店まで歩いて通う事にしてみた。自宅はヌメア競馬場の裏、ベ・デ・シトロンの店まで約2.5km。普通に歩いて30分だった。途中の道はアンスバタビーチに面した遊歩道。景色も環境も素晴らしいし、夜になっても街灯が明るくついているので快適である。

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 この完璧にも見えた作戦には大きな落とし穴があった。うちの店ではお客様にお買い上げいただいた品物をホテルまで無料でお届けしているのだった。家内が休みの日にお届けが入った。「もしもし、メリディアンのお客さんの荷物がいっぱいあるんだけど、ちょっと店までとりに来てくれる?」。うちの家内はとても優しくない(泣)。

この日から私の徒歩出勤は禁止された。

でぶろぐ その13(04年4月頃)

 03年8月の一時帰国以来、長年の懸案事項だった禁煙も成功し、店も順調で万事穏やかな生活を送っていた。店を始めた頃はまともな休みすらなかったのだが、この頃から家内と交代で週休2日が取れるようになって来た。まあ、休みと言っても家にいる方が溜まった家事を片付ける訳で、掃除、洗濯、御飯炊き♪

 思えばこれが失敗だった。私は休みの日となると普段簡単には作れない料理を作るのが楽しみになっていたのだった。本家の「旦那の物置」をご覧いただきたい。蕎麦、中華麺、餃子の皮、スパイスから作るカレー、その他失敗したものの数々・・・。ほとんど半日掛かりで料理している。つまり、ほとんど半日試食を重ねて夕食に至る。以前はくわえ煙草で料理していたのが目の前の食材をくわえながら料理している。

 ふとった。本当にふとったのだった。その事を実感したのはイルデパンに旅行に行った時だった。

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 ある日の夕方、一日の予定を終えた私はホテルの前のクトービーチで海に入って一日の疲れを癒していた。純白の砂にあくまで透明な海の水、緩やかなうねりに身を委ね一人プカプカと浮かんでいた。浮かんでいた? おかしい! 私は今まで海でじっとしていると沈んでしまう体質だったのに! だから海は好きだけど遠泳は苦手だったのに! 何が私のからだを浮かせているのだろうか!

それは10キロ以上増えた腹の脂肪

やばいな~とは思った。でも、ま、いいか。とも思った。泳がなくても浮いてるし。

そんな旅行帰りにあれは起きたのだった。




『私は、これ以上もう太りたくない!!』
その叫びは突然やって来た。

2004年4月、歯の矯正をしていて流動食しか食べられなかった家内が、無事矯正が終わり普通食に戻ろうとした時だった。やっとの思いで粗食になれた家内は私の作った特厚トンカツを拒否したのだった。ご褒美と思って一生懸命揚げたのに・・・

<<でぶろぐ その1にもどる>>


 ではなくて、やっと序章で書いた時点までたどり着いた訳だ。

と言うことで、夫婦そろって減量する事に決まったのだった。



 あれ、今回から減量作戦が始まるはずだったのではとお悩みの(・_・)σ貴方。そんな事を気にしちゃいけません。単に私が構成をミスっただけです。多分次ぎこそ私の減量作戦が始まるはずですのでご安心を(何を安心するんだYO!!)。

でぶろぐ その12(03年夏)

 2001年12月、AQUAはスタートした。なんにせよ、まるっきり新規の店なので頑張らないとどうにもならない。長い昼休み、早い店じまい、土日は休みが当たり前のニューカレドニアで、年中無休、昼休み無し、夜8時までと言う形で頑張ってみる事にした。もちろん従業員はいない。

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 夜8時に家に帰ってそれから夕食の支度をして、食べて飲んで寝る。仕事は店番。そりゃふとるでしょ!!

 日に日に少しずつ体重は増えていった。でも、増えてくるとそれなりに食べる量を減らしたり、軽い運動なんかもしていた。そんなかんだで75キロを目処にそれ以上は増やさずにすんでいた。ところが思いもかけない所に悪魔は潜んでいた。

 私は結構なヘビースモーカーだった。ここには書けないぐらい若い時から(おひ!!)24年ぐらいずっと煙草を吸っていた。

 でもね、ほんとはね、やめたかったんです、ぼく。朝起きると胃が痛くて歯磨きすると吐きそうになるし、かみさんにはいっつも「タバコ臭い!!」って文句言われるし、ニューカレドニアの煙草は馬鹿みたいに高くて、日本円にして月3万円ぐらい煙りに消えちゃうし・・・。それでもぼくは意志が弱いのでやめられなかったの。

 そんなダメ人間の私だがある日、日本から送られて来たビデオを見ていて思いついた。そうだ、この方法がうまく行けば何の苦労もしなくても煙草がやめられる!! 着々と準備を進め03年の8月に日本に帰った時に計画は実行された。そしてわたしは見事何の努力も苦労もしないで煙草をやめる事に成功した。




 その方法とは催眠術をかけてもらう事だった
(まじで一発で煙草を吸わなくなりました。興味のある方はこちらへ)


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 そして、それまでどんなに増えても75キロを超える事はなかった私の体重はいっきに80キロオーバーまで加速したのだった。恐るべし、禁煙効果!!

 ここからいよいよ私の減量作戦がスタートするのである。あ、ちなみに一年以上経ちましたが去年の8月から煙草は一本も吸ってないですよ、ほんと。

でぶろぐ その11(00年以降)

 結婚してからしばらくは普通にダイビングボートを操船したり、修理したりしながら過ぎていった。

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まあ、色々なお客様を乗せる事もある。

 しかし、この頃から船の不具合が目立つようになって来た。もともとちゃんとした船と言うのは20年ぐらいは使えるのだが、この船には製造上の欠陥があって、修理をしながら使うぐらいなら新しくしちゃった方が良いような状態だった。で、私はコンピューターに向かって新しい船の図面作成に取りかかった。実はいつのまにやらコンピューターでお絵描きするのが得意になっていた。

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 一生懸命細かい所まで設計したが、この船は日の目を見る事はなかった。なぜならダイビングサービスを閉鎖する事になってしまったからだ。あれ、また仕事が無くなる? 仕事をしないと人間食べられない!!。食べられないのはつらいので、長く続けたダイビングの仕事から離れて新しい仕事をする事にした。

 さて、何をしよう? 家内と2人で出来る事はなんだろう? 日本に帰ると言う選択肢もないじゃないけど、日本で貧乏するぐらいならニューカレドニアで貧乏している方がはるかにいいよね。それじゃあTシャツとお土産の店なんかどう? おれ、コンピューター使えばTシャツデザインできるし。そうね、私お土産屋やブティックでずっと働いて来たし。そんじゃあ、ベ・デ・シトロンに新しいショッピングセンターが出来たからあそこを借りてやるべえよ。

 ということで、Tシャツとお土産の店を立ち上げる事になった。名前はAQUAに決まった。ちょうどプレーステーションの「アクアノートの休日」をやっていた時期だった(爆)。

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 そして、とうとう長年の肉体労働から離れ、ほとんどからだを動かさない仕事に就く事になった。それってやばくない?

でぶろぐ その10(95年以降)

 当時の私の仕事はダイビングボートの船頭である。だが船頭と呼ばれる事は少なく船長とかキャプテンとか呼ばれる。普通ダイビングボートの船長さんと言うと日本でも海外でも漁師さんの兼任や元漁師さんが多いようで、年季の入った渋めのおじさんが多いようだった。で、当時、私は年齢より若く見られたようで、なんだかお客様から「こんな若い船長で大丈夫だろうか・・・」と言った気配が漂っているのに気がついた。

 で、少しでも貫禄を出そうとヒゲをはやしてみた。

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少しは貫禄が出て来ただろうか?

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何かヒゲとは違う所で貫禄が出て来ているような・・・

つまり、結婚して食生活が改善された証拠である。

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でも劇的な変化が訪れるのはもう少し先の話しだった。

でぶろぐ その9(95年頃)

 本当に電撃結婚だった。とっても簡単に済ます事が出来た。まさに紙切れ一枚出すだけで結婚とは出来るものだと実感した。が、やはりそれだけでは

済ませてもらえなかった。

 年が明けて95年3月3日、結婚式をすることになった。日本に帰って式をするとなるととんでもなく大変そうだったので、親戚一同、友人知人全部ニューカレドニアへ呼び寄せて式をすることにした。家内は敬虔なカソリック教徒で日本から神父様2人も招待して、私たちのアパートのある地区を管轄する教会が式場となった。高橋家&○×家結婚式ニューカレドニア・ツアーが知り合いの旅行会社で特別に組まれた。

そりゃぁもう、大変な騒ぎである

<ーーこの話しをすると切りがないので顛末を聞きたい方は直接聞きにいらしてくださいませ。ーー>

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 この場所がどこだか分かる人はかな~り古いニューカレドニアファンと認定しよう。そう、ここはパークロイヤルになる前のヌバタホテルのバンガローガーデン。この閑静で美しい庭で披露宴を行った。今この場所はどうなっているのか? パークホテルのプールの底である。ああ、もったいない・・・。

 この後、友人たちとイルデパンへも行った。新婚旅行もこれで済んだ。

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と思ったのはわたしだけだった。後日ちゃんとハワイまで行った。ニュージ-ランド経由ラロトンガ経由ハワイ。遠かった・・・...( = =)

でぶろぐ その8(94年頃)

 わたしは新しく始めた船頭稼業にもだいぶ慣れ、同居中の彼女はダイビングショップを辞めて免税店で働くようになり、愛犬エンゾはダイビングボートに乗ったり、ショップでマスコットしたり、はたまた免税店で客引きなどをして過ごしていた。

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 彼女は休みの日にはわたしのボートに乗って遊びでダイビングをする事はあっても、インストラクターとして働くつもりはなく、免税店員として仕事を続けるつもりだった。

 だったのだが、問題が発生した。最近でこそ大分融通が利くようになったものの、当時は滞在ビザの取得が非常に大変だった。もちろん彼女は就労ビザを取得していたのだが、その条件は最初に勤めていたダイビングショップに限られるもので、免税店員として書き換える事は出来なかった。いろいろと持てる限りのコネクションを使ってみたが、書き換える事は出来なかった。

 ビザが書き換えられないと彼女はニューカレドニアに住み続ける事は出来ない。いったん日本に帰国して新たに免税店の店員としてビザを申告したとしても、そう簡単にビザが取得できる時代でもなかったし、もしうまくいってもビザが取得できるのは半年ぐらい先の事になってしまう。

困った

わたし一人ではエンゾの世話も十分に出来ない。

ほんとうに、困った

わたし一人では毎日おいしい晩ごはんを作れない。


そう、すでにわたしは彼女の作った食事がなければ生きていけない男になっていたのだった。食事と言う餌にエンゾもろともしっかりと捕まっていたのだった。


こうなったら仕方がない、確実にビザが取れる方法が一つだけある。

結婚しよう

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 そして2人して急遽日本に一時帰国して入籍し、フランス大使館に奥様ビザの申請を出して彼女は家内になった。そしてわたしの食生活は保証されたのだった。

でぶろぐ その7(94年頃)

 「でぶろぐ」といいながら、なかなかデブな展開になってこなかったのだか、ここいらから様子が少し変わって来る。

 男30普通にしていれば彼女も出来る。知り合いのホームパーティで別のダイビングショップのインストラクターとしてやって来た娘と知り合って、うんにゃら、こんにゃらして、2人で別々にアパートを借りていては家賃がもったいないと言うことで一緒に住みだした。日本式に言うと八畳一間にトイレとシャワーが付いただけの狭い部屋で2人暮らしのはじまりである。

(↓イントラとして体験ダイビング引率中の彼女=AQUAの女将)

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 一緒に住んでいれば家族も増える。

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 こうして2人と一匹の楽しい生活が始まった。

 彼女は料理がうまかった。私はそれまでほとんどまともなものを食べていなかったのだが、いきなり毎日おいしいご飯が食べられるようになった。何もなかった台所に一つ、また一つと調理道具が増えていき、手狭になった台所を私が材木を買って来て広く改造し、使えなかったガスオーブンも分解修理し(後に爆発して大変な目に・・・)、環境が良くなるとその分彼女の料理にますます磨きがかかっていった。

 ニューカレドニアに来て、初めて食べる喜びを思い出した、思い出してしまった。でも仕事は相変わらずハードで、食べたからと言って太るわけではなかった。

でぶろぐ その6(93年頃)

 人間そういつまでも遊んでいられる訳ではない。そうこう言ううちにオーストラリアに発注していたダイビングボートも到着し、いよいよダイビングサービスの船頭としての仕事再開である。

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 船頭とはいえ船の操船だけをしていればいい訳ではない。ダイビングサービスの最大の重労働が「タンク運び」である。要はダイビング用のエアタンクを毎日船に積み込んで、使い終わったものを下ろして空気充填所まで持っていって空気を詰めて、また船に積み込む、これの繰り返しだ。ちなみに当時のタンクの重さは1本15キロ。一日の使用量最大30本。積んで、下ろして、約一トン。夏の時期なんか全身汗だくで熱射病と脱水症状でふらふらである。

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 したがって、まだまだからだは締まっていて太っている暇はない。

でぶろぐ その5(92年末)

 ジェットスキーの会社を辞めた時点で次の仕事の当ては見つけてあった。ダイビングショップのボートスキッパーである。まあ、もともと船が好きで船員をやっていた訳で、結局船乗りに戻るだけの話しだ。とはいえ、肝心の船をこれから建造すると言うことなので、実際に仕事が始まるまでは大分時間があった。

 つまり、ニューカレドニアでプー太郎である。毎日これと言ってする事はない。ダイビングポイントの開発だと言ってボートに乗ってあちこち遊びにいく。既存のダイビングショップのボートを見つければ「よっ!!」と意味もなく声をかけて(脅して)まわる。夜は毎晩日本食レストランで焼酎を呑む。酔った勢いでクラブメッドに乱入する。ほとんどやくざのような生活が続いていた。

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ほとんどまともなものを食べない生活、、、一番やせていた時期かもしれない。

でぶろぐ その4(92年頃)

 クエンドビーチでは乗馬用の馬も飼っている。ある日、オーナーはジェット&乗馬と言うツアーを考えだした。午前中ジェットスキ-に乗ってクエンドビーチのレストランで昼食、午後から乗馬をすると言うものだ。

 とりあえず私は今まで通りお客様を迎えにいって午前中ジェットスキーを楽しんで頂いたあと、お客様をレストランに案内して「お食事の後、乗馬のインストラクターがお迎えに上がりますのでここでお待ちください」といってお客様とはお別れする。お別れした後、レストランの裏口で余った食材を分けてもらって手づかみで食べる(野良犬かい!!)。

 午後、お客様の前に乗馬のインストラクターが現れる。「こんにちは、乗馬のインストラクターの高橋です!!」 お客様は大受けする。「おんなじ人ぢゃん(爆)」。

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 船員時代にほんと色んな遊び&スポーツに手を出していたので、乗馬もお手の物、、、んなわけない。前の日に初めて馬に乗った私がインストラクターである。インチキラクターどころの話しではない。この会社、怪しすぎる。

 ニューカレドニアにくるまで、私は人を疑うと言うことを知らなかったが(ウソ)、あまりに怪しい会社なのでそれとなく回りに聞いてみる。。。出てくる出て来る色々と危ない話しが入って来る。やれ保険に入ってないの、必要なライセンスがないの、なんの、かんの。そんなある日、いつものようにお客さんを連れてジェットを始めようとしたら、ホテルのオーナーから言われた。「宿泊客がうるさいって言うからここでジェットを走らすな!!」。このホテルからもそっぽを向かれたらしい。スタンレーから追い出されたのも似たような経緯だったのだろう。私のボスは日本に帰っている。

こんな会社やめてやる!!


 私は身も心もぼろぼろになって、異国の地で職を失った。退職金代わりに会社のモーターボートを奪って来た。が、そのボートは他人の物を勝手に使っていたものだった(泣)。

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でぶろぐ その3(92年頃)

 ある日、ジェットツアー会社のオーナーからスタンレーからは撤退する、これからはヌー島のクエンドビーチでやる事にすると宣言された。後から分かった事だが所場代の支払いの件でトラブったらしい。

 移動先のクエンドビーチはとても素晴らしい場所である。当時は今のような水上バンガローなどもなく、こじんまりした入り江に面してぽつんぽつんとバンガローが点在する、知る人ぞ知る穴場だった。当然お客様も大喜びである。

 問題はジェットの置き場である。クエンドビーチのオーナーからはバンガロー前の芝生に何でも置いていいと言われたものの、海から小石混じりのビーチをはさんだ土手の上が芝生である。ジェットは重い。トレーラーみたいなものはない。つまり、私が押すか引くかして移動するのである。

 まずジェットを引きずってもいいようにビーチの石を拾う。お客さんが入っていない時は朝から晩まで石を拾う。拾っても拾っても石は無くならない。なぜ?

 お客さんが入った時は朝のうちに芝生からジェットを下ろしておいてからお客様をお迎えにいく。楽しく遊んで頂いてからお客様をお送りしてゲレンデに帰って片付けを始める。・・・引き潮だったりする。・・・海が遠い。普段は5メートルぐらいしかないビーチが10メートル以上になっている。繰り返すがジェットは重い。必死になって押して、引いて、揺すって、押して、やっとの思いで芝生手前の土手までたどり着いた所で日が暮れたりする。

。・°°・(((p(≧□≦)q)))・°°・。

なにもかもいやになって夕暮れのビーチに一人ぽつんとたたずんでいたりする。

肉体的にも精神的にも何もかんもぼろぼろである。

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でぶろぐ その2(92年頃)

 最初にジェットスキーのベースにしていたのはセントマリー湾に面したスタンレーホテル。そこにジェットスキーを置いておき、お客様と目の前の無人島、セントマリー島に渡ってジェットを乗り回していた。まあ、他に滅多に人も来ないし、遮るものもない広い海域でお客様には思う存分ジェットを楽しんでもらえる場所だった。

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 しかし、やってる私は大変である。スタンレーホテルまではヌメアから車で30分はかかる。人数が少ない時には自分の車でピックアップしてスタンレーまで行き、そこからお客様もジェットに乗せて島まで渡ればいいのでそれほど手間はかからない。人数が多くなるとまず移動の車を手配しなければならない。手配をするにはバス会社に電話しなければならない。電話をするにはフランス語を話さなければならない。まだフランス語は話せない

 無事ホテルに付いても島に渡るのも大変である。当時持っていたジェットは2人乗りが2台、一人乗りが2台。よっぽど乗り馴れたお客様でない限りいきなり一人乗りには乗れないので、2人乗り2台でお客様4人まではジェットで島に渡れる。でも、それ以上の人数になったらどうするのか? 昔流行ったなぞなぞをしようというのではない。モーターボートを使うのである。つまり私一人では出来ない。相方を呼ばなければならない。相方は遊び人である。つまりなかなかつかまらない。

・°°・(((p(≧□≦)q)))・°°・。


 肉体的疲労に加え、精神的にも私のからだは研ぎすまされていった。

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でぶろぐ その1(91年末)

序章:

『私は、これ以上もう太りたくない!!』 その叫びは突然やって来た。

2004年4月、歯の矯正をしていて流動食しか食べられなかった家内が、無事矯正が終わり普通食に戻ろうとした時だった。やっとの思いで粗食になれた家内は私の作った特厚トンカツを拒否したのだった。ご褒美と思って一生懸命揚げたのに・・・
 もともと料理好き、食べるの好きだった私たち2人が結婚して10年。その歳月は私たちのからだに劇的な変化をもたらしていた。。。でぶ、でぶ、でぇ~ぶぅ~。
1991年、ニューカレドニアへ来て、筋肉質のしまったからだを黄金色に輝かせ、ジェットスキーのインストラクターをしていた私。身長170cm、体重68キロ。それから10年。私の体重は

80キロを超えていた


 これから私がここに残すのは、私がいかにしてでぶになり、いかにしてその地獄から抜け出すかの戦いの記録である。記録になるはずである。記録になるといいな・・・。




でぶろぐ その1

 1991年12月、私はそれまで勤めていた海洋研究所を退職してニューカレドニアへ移り住んで来た。私はもともと体育会系でそれまでの船員(肉体労働)生活と長い休暇を利用してたしなんできた各種スポーツもあって、海でじっとしていると沈むぐらい筋肉質でしまったからだをしていた。

 ニューカレドニアで最初についた仕事はジェットスキーのインストラクター。船員時代にほんと色んな遊び&スポーツに手を出していたので、ジェットスキーもお手の物、沖縄で1回乗った事があった(おひおひ)。インストラクターではない、インチキラクターである。とはいえ、毎日乗っていればもともと好きな類いの遊びなので、あっという間にお客様にはばれない程度のインチキラクターに変貌したのではあるが・・・。

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 毎朝、観光客の市内観光バスを追いかけて名所名所でビラを配り、お客様をホテルにお迎えに上がり、ジェットを海におろし、お客様に教え、一緒に乗り、おべっかを使い、重たいジェットを海からあげて、お客様をお送りして、ゲレンデに戻ってジェットを洗い、夕方にはホテルのデスクで翌日の予約を受け付ける。

 とんでもない肉体労働である。当初のすみかはランタナホテル106号室。キッチンなど付いていない。冷蔵庫もロビーに共用の物が一台あるだけ。仕事が終わると酒飲んで寝る、ねる。あれ、もの喰ってない!? そんな生活を続けて私のからだはさらに引き締まり、褐色に輝いていた。

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